占星学と心の探求

占星学の心理的・エネルギー的・構造論的視点

視点意識の成長

12星座(12ハウス)の流れは人間の意識成長そのものの過程になっている。植物が「芽生えの春→葉を茂らせ花を咲かせる夏→実りを成す秋→枯れて命を終わらせる冬」と1年の成長をしていくように、物事は始まりから終わりへ向かいながらその成長を為していく。その12星座の流れを「視点の成長」という観点からまとめてみたい。

視点意識の成長過程


1ー4(牡羊~蟹)は基本的な意味での「主観的視点」を成長させる時期。周りには様々なモノがあって色々触れながら「自分の感覚(主観)」を学ぶ。自分がどういう情熱を持っているか、どういう感情を持っているか、何に対してどういう想いを抱くのか。最も単純にして基本的な形での自分の感覚。それは好き嫌いという感情や、あるいは一方的な見方になりやすいがそうやって自由に味わって(表現して)こそ主観が育つ。

5-6(獅子~乙女)においてその初期の主観がしっかりとした形で完成する。「私の主観」。確固とした自己としての感覚。それは誰とも違う自分だけの視点。世界にいるしっかりとした私。1-4の時のような単純(直接的)ではなく、誰に対しても揺るがない自己としてのもの。人モノ出来事に対して私がどう感じるか、どう思うか。それは「物事を1つの視点からしっかり捉える意識」。この1つものとして捉える意識が主観的視点であり、それが個人性意識を生み出す。



7-8(天秤~蠍)になると、その主観的視点を持った1つの個と個が対等の立場でお互いの視点を交換する。私がどういう主観(確固とした1つの見方)を持っているか、あなたがどういう主観(確固とした1つの見方)を持っているか。人間関係・恋愛関係・様々な関わりを通して、人はみな自分のしっかりした主観を持っていることを知る。それは犯すことのできない神聖なもの。「1つの物事を別々の視点から見る意識」。そうやって独立した1個の存在の主観を別々の側から見ることで客観的視点が生まれる。それが集団性意識の発露となる。

9-10(射手~山羊)になると、多くの人たちとその主観的視点を交換していく。1つ1つの見方が確固としたものであり、それが多数あることを知る中で主観的視点は俯瞰的視点へと成長する。たくさんの視点が集まって1つの大きな視点を作っている。それは「物事を1つのまとまりとして見る意識」。人が集団であつまる場所(学校のクラス・会社・社会・コミュニティなど)を経験することでそういう俯瞰的視点が生まれてくる。これが集団性意識あるいは社会性意識になる。

11ー12(水瓶~魚)になると、世界にある俯瞰的視点(集団的視点)を交換していく。1つのまとまりの視点(集団)と違う別のまとまりの視点(集団)。様々な会社・組織・学校・民族・国家。それぞれが1つのまとまりとして独立した視点(価値観・思想・歴史・文化)を持ち、それを対等の立場で交換していくことですべてを1つにまとめる超越的視点が生まれる。「物事を複数のまとまりの集合として見る意識」。人間個人で言えば、様々な年代の経験(1つのまとまり)を統一して人生全体として見る意識。この超越的視点が神やLove&Peace(完全な受容性)を生み出す元になる。



以上まとめた「視点の成長」はあくまでその星座(ハウス)が担当する構造的なものであり、実際ホロスコープを成長していくのは1個の個人(自己=1~4を含む5・6)だ。だからどうやっても「物事を1つのものとしてみる意識=主観的視点」から逃れられない。自己(1~4を含む5・6)がより上位の客観的視点・俯瞰的視点・超越的視点と関わるとき、そこに1対○としての衝突が生まれ、それが逆に新しい視点(意識)を生み出す。

ホロスコープ階層2

自己(物事を1つのものとして見る意識)が、他者(1つの物事を別々の視点から見る意識)に触れた時、集団(物事を1つのまとまりとして見る意識)に触れたとき、超集団(物事を複数のまとまりの集合として見る意識)に触れたとき、様々な意識が生まれてくる。自己はそれを超えた視点に対しては上下関係になるので、ポジティブなものだけでなくネガティブなものも生み出す。7-8(他者に対する支配被支配)、9-10(権力に対する支配被支配)、11-12(神に対する支配被支配)など。


惑星と年齢意識(3)

9-10(56歳~70歳)になると集団性という意識が生まれてくる。それは「1つのまとまり」として物事を見る視点。相手にも10年20年という大きなまとまりで人生のテーマを追いかけていることが理解できるようになる。今この瞬間の相手を愛するだけでなく、もっと大きな単位(まとまり)で人生を生きている相手を、その大きな視点で愛せるように。その愛情はとても大きく深いものになる。若い時のような一時の感情で怒ったり喜んだりするのではなく、もっと大きくゆったり相手を包んであげる。かつての映画やドラマでの「老夫婦の愛の姿」に近いだろうか。

射手座・山羊座の本来の愛情とはそういう穏やかで優しく大きなものだ。若い時はやんちゃしたかもしれないが年を取ってすごく穏やかで優しい愛を表現できるようになった…そんなイメージ。相手の人生を大きく見てくれていて、それを理解した上での愛情。じっくり待つこともできるし、サポートだけして後はそっと見守ってあげることもできる。相手の弱いところも情けないところも優しく受けとめてくれる。それらはすべて10年後20年後相手が大きく成長するための糧だと分かっているから。


さらにこの時期は「社会的自己確立の後期」であるから、その愛の姿にも集団性がはっきり現れる。次の世代・若い人たちにも愛を注いでいくことになる。「優しく厳しい老教師」といったイメージで描かれる姿。サッカーで言えばオシム監督みたいな感じ。長い経験と深い叡智があってそれを次世代のために優しく厳しく授けてくれる。その厳しさの奥には若い人たちに対する愛の眼差しがあって。女性ではすぐに思いつかないが包容力があって「優しいおばあちゃん」といった感じか。子供の頃すべてを受けとめ抱きしめくれたおばあちゃんみたいな、そういう大きな愛情。やはり射手・山羊がその本来の愛を表現できるには人生の後半期にならないと難しいのだろう。



11-12(70歳~84歳)になると、その愛の姿は超越性を帯びるようになる。個人的な感情(嫉妬・血筋)などは超え、相手の集団性(10年20年という大きな視点で見守る)も超え、「相手の人生そのもの」という超集団性を宿すようになる。人は日々の経験という枠組みから様々なものを学び、10年20年という大きな枠組みから様々な成長をする。その1日1日、10年20年という枠組みをぜんぶ含めて「一生」という枠組みで命を生きている。その一生という視点で物事を見ることができるのが11-12の意識。

その超集団性(全体性)から見れば、その人が味わっている喜怒哀楽もすべては大きな目的(魂)へ向かう1つの過程にすぎない。それはとても貴重なことではあるが、その良し悪しに一喜一憂することもない。願うのはすべて終わった後の「相手の魂の成長」。だからとてつもなく優しい愛ではあるが、日々のことに一喜一憂する普通の人間から見ればどこか冷めているようにも見える。もっと何かしてと。でも全体性の視点から見れば物事は必ず完結するし、偉大な魂である相手が解決できない問題でもないと分かっている。


そういう大きな視点の愛をまだ経験の浅い若い人が持とうとすると、「相手を(自分も)束縛したくない・自由でいたい・枠に縛りたくない(縛られたくない)」といった水瓶的な言葉や、「相手を大きく受容しようとするがまだ未熟でできず逆に相手に振り回されて」しまう魚的なふるまいになったりする。11-12の意識に到達するにはその前の1-4・5-6・7-8・9-10すべての過程を経なければいけない。そのギャップが水瓶・魚の人たちが抱える愛の苦悩を生み出してる。水瓶・魚の人ほどその表現しようとする愛に「崇高と冷たさ」が交じっているものはない。この世ではありえないような理想の愛を求め、同時に人間的(俗人的)に見ればなんて冷たいんだろうと思えるような愛を表現したりする。

でもそれは彼らがとても高い視点の愛を目指しているからであり、普通の俗人レベルの愛とは桁が違うのだ。相手の一生(魂を含めれば死後の一生も)をぜんぶ捉えられるような愛。それは神や天使のレベルの視点。神や天使というといまいちピンと来ないならば、菩薩といった方が日本人には理解しやすいだろうか。菩薩はただ優しく微笑むだけ。でもそこには相手の人すべてを包み込む深い慈愛がある。それが超越性(全体性)を持った愛。


惑星と年齢意識(2)

年齢域による意識発達を今度は愛の表現で考えてみよう。1-4ハウス(1歳~28歳)は「個体としての自己の発達期間」なので、自分が持っている様々な愛の姿を表現していくことになる。思春期になり恋に目覚め、異性と付き合い、SEXを経験する。相手と触れ合ってみて初めて自分がどんな情熱を持っているか知る。官能的なものを持っていたり、冷めているものを持っていたり、思った以上に女性らしいものを持っていたり。出会いや別れ、喜びや悲しみ、あるいは青春期にありがちな「羽目をはずした恋」をしてこそ見えてくるものだってある。

中年になってみれば分かるが「どうして10代20代の時はあんなに情熱的だったのだろう」と思う。一種の発情期みたいなもので恋の病にかかりながら「自分の中にある愛」を味わっていたのだろう。それは自己発見という意味でとても大切な期間なのだ。

年齢意識区分7-12愛


5-6(28歳~42歳)になると結婚したり子供を産んだりして現実的な愛情を育む期間になる。未婚の人であっても青春期の情熱から成熟した大人の情熱へと変わっていく。それは相手との現実的な関係を通して、より地に足の着いた等身大の自分の愛を表現していく期間だと言える。と同時に若い頃抱いていた「恋愛への期待」が裏切られ始める期間とも言える。相手は白馬の王子さまでもなければ、完璧な自分の理想の男性像でもない。自分の中にある理想と現実との葛藤を味わいながら、ゆっくりと落ち着いた自分なりの愛を見つけていく。それは「自己確立の時期」と言える。



7-8(42歳~56歳)になると「完成された自己(私)と自己(あなた)が個体同士を交換していく期間」になる。相手は独立した1個の存在で自分なりの価値観・生き方を持っている。それは他人である自分が下手に干渉してはならない領域。お互いに独立した存在として尊敬しあうからこそ、その愛の表現は温かく優しいものになる。自分と違うからといって否定せず、イライラせず、その違いを認めた上でのつながり。個体と個体が本当の意味で愛し合える最初の期間。もちろんそうなるのは簡単ではなく、ここで天秤・蠍座特有のトラブル(喧嘩・バトル・嫉妬・束縛など)が起こる。

それは相手を「一個の独立した存在」として認めることができるようになるための大きな試練だからだ。このトラブルを経験し乗り越えてこそ本当の意味で「個体と個体の愛」が生まれる。この期間が人生の中年期(42歳~56歳)に当てはめれているのも、そういう愛に達するには相当の経験が必要だということなのだろう。当然そこには嫉妬だけではなく、無関心・愛情の冷めという問題もある。それはかつて20代30代だった頃の愛を期待しているからこその幻滅であり、ここで足を躓くと「中年期特有の恋の病(若い人との不倫・離婚など)」にかかる人もいる。

「相手は自分とは違う存在なのだ。違う価値観・生き方を持っているのだ」と理解し、それを受け入れ受容する。他者の価値観を受容するというのはある部分で自分の価値観を(一旦)否定することだって求められる。だがそれが「相手も自分と同じ一個の存在」と認めること。そうやってお互いに相手の価値観・人生観を理解しようと努力する(個体と個体の交換)。


さらに7-8は「社会的自己確立の前期」と書いた。それは特別な相手との関係だけでなく、他にも関わる様々な人たちにも同じような目線で触れ合えるようになるということ(公・パブリック)。この時期が「若い時の愛情に対する冷め」みたいなのが生まれるのも、もっと大きな視点へ向かおうとする衝動からなのかもしれない。情熱的なとかではなく、もう少し穏やかで優しい愛情を会社・社会・世の中で触れ合う人にも注ぐ。もう少し愛の範囲が広くなる。そういう姿を受け入れていくのも7-8の時期の特徴だと言えるかもしれない(もちろんそれを受け入れるのにも様々な葛藤が生まれる)。


惑星と年齢意識(1)

惑星の年齢域占星術には「天体(惑星)の年齢域」という考え方がある。それぞれの天体に対応する年齢があると。ただこの考えだと9天体しかなく(冥王星をいれても10天体)、ホロスコープの12区分(12星座・12ハウス)という考えには合致しない。

私はより正確にはホロスコープの12区分で年齢域を考えるべきだと思っている。占星学において「12」という区分は物事の理に通じるものだからだ。その時代の人間平均寿命を12で割った数を1つのハウスに当てる。現代は平均寿命84年くらいだからそれを12で割れば1ハウス(星座)7年ほどになる。

「その時代の人間平均寿命を12区分する」というのがミソで、これは平均寿命が違う地域・違う時代になれば、そこでの人間意識成長の速度も異なるという考え。というのも孔子の有名な言葉「40にして惑わず」は現代社会においてはまったく40代の意識と合致していないし、さらに言えば今の40代・50代あるいは60代・70代というのは一昔前の同じ年代の人より明らかに若々しい。年齢成長に関する価値観が時代などによって異なっている。

年齢意識区分7-10



さて今回テーマに考えたいのは「7-8(天秤座・蠍座)の年齢域」と「9-10(射手座・山羊座)の年齢域」の違い。7-8(天秤・蠍)というと他者との関わりだから恋愛とか結婚とか「人間関係における大人の付き合い」だと捉えやすい。確かにそうだがそれは青年期のような熱情ではなく、むしろ相手の個人性を理解した上での「自立した自己同士の付き合い」という面が強い。恋愛であっても5ー6ハウスの時のような「自己表現(満足)の恋」ではなく、同棲・結婚まで含めた上での「大人の愛」。相手も1人の独立した存在と見るからこそ、権利(お金・力関係・人格など)に関することがテーマになりやすい。

この7-8における「人間関係」は自立した個人同士の関係だから、それはそのまま社会的関係への入り口になる。会社・組織などにおいては人はみなそれぞれ1個の独立した存在と見られ、だからこそ大人としての距離感を持って接しなくてはいけなくなる。たとえ見ず知らずの人であっても「きちんとした大人のふるまい」で接することが求められるのも、相手を一個の独立した存在として見るからだ。建前と本音をきちんと分け、礼儀や約束を守ろうとするのもそういう意識が根底にある(それができない人は社会人として失格になる)。


7-8の意識というのは「人間を1個の独立した存在と見なし、それを元に自己他者間の距離を考えようとする意識」と言える。恋愛・結婚はその中の1つの表現にすぎず、社会的枠組み(会社・組織その他)での人間同士のふれあいというのも大きなテーマになっている。これを「社会的自己確立の前期」と呼びたい。そこには相手に対する好き・嫌いが出てくるだろうし、上下関係における不平等への不満も出てくるだろう。人間関係における様々なグチャグチャを味わいながら、自己と他者が独立した存在として付き合えるちょうど良い距離感をつかんでいく。

この7-8の期間が42歳~56歳となっているのは中々興味深い。普通の考えだったら「50代だったらもうそんなこと終わってるんじゃないか?」と思えるが、実際会社の中での40~50代前半といえばまさに組織での権力闘争(出世)をしている真っ最中ではないだろうか。自分の力が充実し、まさにバリバリに働いている時期。自己他者間の争いもあるだろうし、責任あるポジションとして様々な利害調整もしなくてはいけない。それもこれも相手が一個の独立した存在だからこそとても厄介なことだったりする。そういうしんどさの中で「自己他者間の関係性+社会的自己の確立(前期)」を目指す(※1)。



社会的自己という意味では9-10の意識の方が有名だろう。7-8の意識を「社会的自己の前半」とし、9-10の意識を「社会的自己の後半」としたのは、後者の方は「自己-他者間の距離感」よりも「自己-組織(集団)間の距離感」の方をメインに考えると思うからだ。自己-他者間の距離を適切に捉えることができる社会的自己(大人の人間)になった人間は、次はその先にある自己と組織(集団)の関係性に目が向く。社会という人が集まった集団の中に入ると、そこには集団を代表するアイコン(課長・部長・社長など)が作られ、そこに権力が集中する。

リーダーと部下たち。それは集団を効率よく運営するために生まれる必然の形態。集団性というのは必ずそういう上下関係を生み出す。社長と平社員、先生と生徒、親と子、教祖と信者、神と人間。集団性を代表するアイコンは一般の個人とは明らかに区別される。この「集団性と個の関係性」こそ9-10の意識だと言える。この形態は私たちの世界のあちこちに存在し、むしろ普遍のもの。「上のものと下のものがつながり、脈々と受け継がれる」というのは社会性の基盤そのもの。それは歴史ともなり伝統ともなり文化ともなっていく。


9-10の意識に移った人間は社会における上下関係・権力関係さらには上のポジションにおける責任ある行動(部下をまとめる・後進を育てる・組織が未来へ発展してくようにする)を意識する。山羊座(10)と言えば権力と言われるが、その本当の意味は「集団性(リーダー)としての責任ある行動」を目指すこと。決して自分のための権力ではなく、責任ある立場として「組織全体(集団)を永続的に活かすため」のものだ。

この年齢域が56歳~70歳となっているのも興味深い。やはり1つ前の7-8までの年齢域では「自己のためのの社会性(権力)」になりやすいからだ。自己を捨て純粋に組織のための責任(権力)を意識するには、やはりそれだけの年齢に達しないと難しいということだろう。さらにこの年代は後進を育てることにも熱中しやすい。仕事での技術を伝える、伝統を次の世代に伝える、家系全体のことを考え子供・孫たちに愛情を注ぐ。それは個人と個人のつながりというより、「上のポジションと下のポジション(現世代と次世代)」をつなげることの方に意識が向かっている。これを社会的自己確立の後期と呼びたい。




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※1 「では女性はどうだろう?」というテーマもあるが、女性は自己表現の手段が多様なので(専業主婦、キャリア、あるいは専業主婦であっても40代で初めて子供を持ったり、専業主婦をやめてパートに出だすなど)、別テーマにしないと収まらなくなる。というわけで今回は割愛する。


私と占星術

20170524.png昔メールを通してのカウンセリングをやっていたときのこと。仕事ではなく純粋にボランティア的にやっていたのでお金と取ることもなく、どちらかと言えば人間的に相手の方と触れ合うことが多かった。占い的な軽い相談で終わる人も多かったが中にはそれこそ1~2年(あるいはもっと長く)やり取りを続けた方もいた。不倫で悩んでいたり、過去のトラウマで苦しんでいたり、人生での生き方を真剣に考えていたり。

占星学といっても、ホロスコープを見た(解釈した)ところで問題がすぐに解決するものではない。ほとんどの場合は「自分が向き合うテーマ(課題・方向性)」を教えてくれるくらいのものでしかなく、あとはそれを元に自分の足で長い時間かけて歩いていかなければならない。うまく表現できていない部分だったり、苦手とする部分だったり、ネガティブになったりしている部分を自分の中に落とし込み、考え悩み、向き合いながらポジティブなものに変えていく。それは本当に長い長い作業なのだ。


その時々の悩みだったり迷いだったりをメールを通して相手の方から聞く。私には話を聞いてあげることくらいしかできなかったが(占星学的なヒントなど相手の方だって十分分かっている)、その過程を長い期間通して一緒に経験させてもらったお陰で、人間というのが1歩ずつ自分の心(態度)を変えていくのを学ばせてもらった。不倫の結末が別れだったこともあるし、過去のトラウマが実家からの独立だったこともある。表面的なハッピーエンドとかそんなことではなく、その結末自体がその人の心の成長の結果だった。


人は自分に与えられたホロスコープを、自分なりの解釈と姿勢でポジティブなものにしていくしかない。出す答えがどういうものかはその人自身が決めること。それが良かったのか悪かったのかもその人自身が自分で判断すること。占星家は運命の予言者でもなんでもない。ただのサポーターにすぎず、主人公はその人自身。つまらないことで悩み、見えない不安に怯え、過去の傷に苦しみ、うまく自分になれないと落ち込む1人の人間。その生身感をヒシヒシと味わわせてもらったのは私にとってとても貴重な経験だった。

ホロスコープを見ているようでいて実は人間を見ているということ。だからこそ占星学を志す者は人間に触れなければいけない。ホロスコープの成長とはその人の心の成長に他ならないのだから、その人に深く触れない限り本当のホロスコープリーディングなどできはしない。そこから生まれる尊敬と謙遜の気持ちを持ったとき、ただの「占い」は人間の心を見つめる「愛の道具」になるのではないだろうか。


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